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【信岡良亮さんインタビュー】<中編>いろんな社会のものさしをつくる


(写真提供: 自由大学)


信岡良亮さん

…同志社大学を卒業後、先輩が起業したITベンチャー企業に就職。その後退職し、島根県海士町に移住。現在は株式会社風と土との取締役として、海士町の食材を使った料理や音楽を楽しめるイベントの運営、株式会社アスノオトの取締役として企業研修などの企画・運営、地域を旅しながら実践型学習ができるさとのば大学の立ち上げを行うパラレルワーカー。


今回のインタビューでは、3つの職業に就き、パラレルワーカーとして働く信岡さんのこれまでの生き方と、人生のビジョンについてのお話を伺いました。


中編では、ベンチャー企業に入社した後、信岡さんがどのような人生をたどっていったのかを伺うとともに、社会での出来事を「自分ごと」にする方法について語っていただきます。


※前編はこちら


 

「この仕事なんのためにしてるんだっけ?」って問いが生まれたとたんに、仕事が進まなくなった。

「自分とのフィット」を大切にして入社したベンチャー企業。しかしその数年後、信岡さんはその企業を退職します。いったい何があったのでしょうか―。


ちょうどITバブルの時期で「上場しよう!」ってみんなが当たり前に言ってた世界で、それはそれで楽しかった。でもそんなある時、環境問題についての話を学ぶようになって。「環境問題を解決するには人類全体の成長のスピードを落とさないといけない」っていう話。その時に「上場して成長した先に、地球が壊れるんだったらこれ意味ないじゃん」って思い始めちゃったんです。その瞬間に、会社での仕事の未来が見えなくなってしまったんです。


ーそうだったんですね。

それで「この仕事なんのためにしてるんだっけ?」って問いが生まれたとたんに、その仕事が進まなくなった。でも進まないけど進めないといけない。ピンチなのは分かる。だけどその仕事を進める意味が分からないから固まってるっていう状態。その頃から半分ぐらい鬱状態になって、満員電車にも乗れなくなってしまって。もう思考力がどんどん下がっていったんですよ。


ーかなり辛い状態だったんですね…。その状態から、会社を辞めて海士町へ行くというアクションを起こしたわけですよね?そのアクションを起こせたのは何故だったのでしょうか?

まずは衝動的でした。環境問題のピンチを感じて体が動かなくなって都会で働けなくなったから、とりあえずどこかに行かないと生きていけなかった。その時に「島まるごとを持続可能にする」というビジョンを持った島根県の離島・海士町に出会いました。で、すぐに移住してしまいまして。


―なるほど。考える前に体が動いたという感じなんですね。

そうですね。でも海士町でいろんなものを見ていくと「あ、全てのものはちゃんとつながっていて、自分たちで変えようとしない限り変わらないんだ」と気づいていきました。いろんな取り組みで有名になっている海士町も、実際は全ての未来を変えられているわけではないので、島のみなさんも成功したとは思ってない。だけど、少なくとも皆で挑戦はできる。誰も挑戦していいなくて諦めている世界と、みんなでなんとかしようと思ってる世界だったら、皆でなんとかしようと思ってる世界の方が全然美しいなって感じたんです。


(写真提供: 自由大学)



「小さなものさし」で社会問題を自分ごとに

社会問題を「自分ごと」にすることは誰もができることではありません。そんな中で、環境問題を「自分ごと」として捉えている信岡さんに、その理由を伺いました。


例えば「隣の友達が困ってるのに助けられない自分が辛い」っていう感覚ってあるじゃないですか。あれって、問題が自分ごと化されてることと結構近しい。そういう感覚を持ち続けていくと「引きこもっちゃった話があるなあ」とか「鬱になっちゃった話があるなあ」ということも自分ごとになっていく。そういうことを普段から連想する癖をつけていると、いずれ環境問題も自分ごとになるのかもしれません。とはいえ僕は妄想癖というか、自分が人間という集団を嫌いにならないために、世界全体がいい方向に向かっている感覚が必要な、ちょっと変わった特性を持っているかもしれません。


ー感覚を常に持つことによって、自然と「自分ごと」になるという感じでしょうか。

そうですね。僕は小学生の頃から人間って派閥やポジションによって関係性が変わるんだと感じていて。人って集団の中で取りたいポジションがあるから、そのためにマウンティング(相手より優位に立とうとする行為)をしてしまうことがあると思います。だから「集団になると人間は醜くなるんだ」という感覚があった(詳しくは前編参照)。で、そういうポジションの取り合いみたいな状況の時には、「ものが言えない弱者」ほどさらに立場が弱くなる。だから「環境とか自然とか喋れないもののことも考えようよ」っていう発想になるんです。


ーここにも信岡さんの集団に対する価値観が繋がってくるんですね。私も含め、そうした感覚がまだ無いなあという人も多いと思うのですが、どうしたら物事を「自分ごと」に捉えられるようになるのでしょうか?

二つある気がします。一つは「人と違うことでも自分としては納得がいくからやってみる」という経験を小さくてもいいから何回かしてみる。例えば、みんながカレーを頼む中で、一人ハヤシライスを頼んでみるとか。そして、「私の選択、満足だったかな」って食べるわけですよ。そういう小さな自己判断を何度もするっていう経験を積んでいくと、自分は何を感じるかという部分に敏感になれる。


ー小さな自己判断。なるほど。すぐに実践できそうですね。

うんうん。そしてもう一つは、自分がもっている人生経験だけでなく、歴史からの経

験を活かすことが大事。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉がありまして。これからの人生では、自分の経験からでは分からないことの方が絶対に多い。その時に「私の経験になくて、私ごとにならないものは分かりません」って言ってしまったら、100年に一度のことに対応できない。でもそれは突然起こるわけですよ。そういうことにそもそも対応しなくちゃいけないってことを前提に生きた方がいい。


(写真提供: 自由大学)


ーたしかにそうですよね。

はい。そして経験にないものをいかに想像できるようになっていくかという段階では、まずは自分で小さくものさしを作るといいんです。例えば「100メートルってどれくらいの長さ?」って言われても、100メートル走ったことのない人には、よくわからないと思います。


ーあまりピンとこないですね。

その時に「じゃあ25メートルプール泳いだことありますよね、あれの4倍です」って言われたら、「結構泳ぐなあ」って分かるじゃないですか。その小さなものさしをつくることってすごく大事。このものさしって今の都会だと作りにくいから、田舎に行った方がいろんな社会のものさしが作れるっていう話なんです。ものさしができてくるともう少しいろんなことが自分ごとになりやすくなると思うんだよね。


ーなるほど。少し話が戻りますが、田舎、例えば海士町のような島で生活していく中で、自分ごとになっていった経験ってありますか?

一番は島全体が活性化していくということかな。町長や役場の人と話していると「予算がこう使われて、こうやって島が動いていくんだ」という動きが見える。特に、あと5年でつぶれると言われていた高校が、ちゃんとみんなで頑張った結果クラス数が倍増されていったのを目の当たりにした時は、「本当に社会って変えられるんだ」って感じました。


ーそういった経験をすると、たしかに社会を変えるという行為は身近になりますよね。

あと、僕は島で何か社会人の学びができる場を作るっていう企業研修の会社もやっているんだけど、最初は「田舎に人が学びに来るのってありえない」って話から始まったんです。1泊2日のコーディネートを2万円でやっても、「田舎の暮らしを体感しただけなのにこんなかかるのかよ」って言われました。でも今では2泊3日の企業研修でその何十倍の価格で提供しても、ちゃんとした対価として満足して継続いただけています。


ーそれは田舎での学びという部分の価値が認識されてきたということですよね。

そうですね。そうすると、自分たちの努力でそういう価値を作ってきたっていうことだけじゃなくて、時代がちゃんと変わっていくんだという感覚も生まれる。10年前までは「島に行こうと思って」って言ったら「食べていけないぞ」っていう反応だったんですよ。でも今って「地域活性」って言葉があるから、「それって大事だよね」って言われたりするんです。だから社会機運が変わっていくんだっていう体感はありますね。


(写真提供: 自由大学)



自らの価値観と海士町での経験を掛け合わせ、現在の生き方に辿り着いた信岡さん。次回は、そんな信岡さんに「やりたいこと」の見つけ方を伺います。「やりたいことがない」人に信岡さんが問いかけた意外な言葉とは。(つづく)

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