(写真提供: 自由大学)
同志社大学を卒業後、先輩が起業したITベンチャー企業に就職。その後退職し、島根県海士町に移住。現在は株式会社風と土との取締役として、海士町の食材を使った料理や音楽を楽しめるイベントの運営、株式会社アスノオトの取締役として企業研修などの企画・運営、地域を旅しながら実践型学習ができるさとのば大学の立ち上げを行うパラレルワーカー。
さとのば大学とはー。
(写真提供: 自由大学)
地域を巡りながら学ぶ「旅する大学」。それが信岡さんの運営する「さとのば大学」のコンセプトです。
学生は地域に住み込み、講義はオンラインで受ける。その他の時間で、実際に地域でプロジェクトを行うことで、机の上では得られない学びを得る。そうした活動をして、地域を1年ごとに巡りながら4つの地域で4年間を過ごして卒業するような仕組みを今、「さとのば大学」は模索しています。
そんな新しい学びの形と信岡さんの理念に共感した人々から、クラウドファンディングで1000万円超の資金が集まり、現在では、島根県海士町をはじめとする4つの地域で学ぶことができます。
今回のインタビューでは、3つの職業に就き、パラレルワーカーとして働く信岡さんのこれまでの生き方と、人生のビジョンについてのお話を伺いました。
この前編では、信岡さんの根底にある「人間関係」に対するある想い、そして学生時代、就活の際に考えていたことを伺います。
構造を見直してみんなが幸せな世界を作りたい
「地域」を舞台に、人が繋がり、そして学びあうコミュニティを大切に作り上げる信岡さん。そうした活動の根底には、実は誰もが皆一度は感じたことがあるような「学校での人間関係のもどかしさ」があるといいます。
僕が小学校の頃、「人間って派閥やポジションによって関係性が変わるんだ」ということを感じていて。1対1だと仲の良い友達でも、クラスの中で別のグループにいると、教室という空間では喋れない、という雰囲気とかね。中高でバスケットボール部に入ったんだけど、派閥があって。他の派閥とは喋れない空気みたいなのが嫌だったという経験とか。なんで集団になるとこんなにもやりにくいんだろうというところはすごく感じていたかな。
ーそういった感覚って誰しも感じますよね。あれ、何故なのでしょう。
その人にとって集団の中でとりたいポジションが存在するからだと思っていて。そのポジションをとるためにいつの間にか他の誰かを下げてしまうことがある。だから集団は被害者が発生しやすいんだと思います。
ーそういうことなんですね。
例えば「赤信号、みんなで渡れば怖くない」みたいな感じで、渋谷のハロウィンで軽トラックを倒すとか、絶対1人じゃしないけど集団化すると何故か理性が消えてやってしまうっていうこともよくある。なんか「集団になると人は醜くなるんだなあ」「集団としての人間が美しい方に機能することって果たしてあるんだろうか」っていう疑問が僕の中にはずっとあったんです。
(写真提供: 自由大学)
ーそうした経験が今のご自身の生き方やビジョンに影響を与えている部分はありますか?
ありますね。それで言うと、僕はいかに嫌な未来を予防できるかというところが大事で。今一番見たくない未来は、日本の人口が減少して構造が変わっていったときに、醜い集団があちこちに生まれたり、人間関係のいざこざが生まれたりすること。3.11(東日本大震災)のときも、それが原因で離婚した人もいるし、街自体がギスギスしたという話もある。そういう状況は嫌なんです。構造が変わってしまう中でも、未来を作る力があればあるほど人間関係はギスギスしなくなると思っています。
ー例えばどういうことでしょうか。
例えば、人口1000人の島で、売上100万円のパン屋さんがあるとします。この島の人口が500人に減ったとしたら、売上はどうなります?
ー単純計算で半分の50万円ですかね。
単純計算だとそうだよね。でも頑張ったから60万円の売り上げが出たとします。そのときに従業員に向かって「お前よく頑張ったな、でも前と比べて売上60%になったから給料も60%な」って言ったら喧嘩になる。「めっちゃ頑張って仕事量増えたのに、なんで給料カットなんだよ」って。
ーたしかに。当然そうなりますよね。
でもこれ、構造の問題なんですよ。日本中が縮小していく中でこういう事が起きると「俺は前より働いているのに報われない」って思い始める。そうすると、会社がブラックだとか、政治家が悪いとか言い始める。誰かのせいにしてしまうんです。でも、問題の根っこって構造なんですよ。この構造を直す方法を見つけない限り、みんなが幸せになれないんです。だから、みんなでちゃんと構造のことを考えたいなと。
ー「構造を考える」ステップとしてさとのば大学もあると?
うん、批判者として「社会はこうなればいいんだ」ということばかり話し始めると、犯人探しが始まっちゃう。そうではなくて、みんながちゃんと構造や社会に対する「ものさし」を持つことによって、実践者として「この社会をどうする」っていう議論をしたい。その「ものさし」を作る場として、さとのば大学を創り上げたくて。
その生き方がフィットしているのは「自分」か「社会」か
新卒で入ったベンチャー企業を退職したのち、島に移住をして今のお仕事をされているという経歴をお持ちの信岡さん。どのようにして、そうした経歴を辿っていったのでしょうか―。
最初は普通に就職活動をしていました。それこそ「年収が高い職業ってなんだろう」って考えたりして。それで大阪の上場企業に内定をもらっていたんですよ。でも卒業間際の時期に先輩から「会社立ち上げるけど、お前よかったら来ない?」って連絡が来て、結局ベンチャー企業の方を選びました。
ーそうなんですか!上場企業に内定がありながら、なぜベンチャー企業を選ばれたのですか。
うーんとね、その上場企業に内定が決まった後に、その企業の物流センターみたいなところでアルバイトをしたんです。その時に「あ、なんか全然生き生きしている大人いないぞ」って感じたり、あと僕は単純労働が苦手で「これ向かないかも」とも思って。もちろん物流センターだから、実際の仕事は多分違うんだろうけど。でも「自分はこの構造の中にいられないな」って思ったんです。
(写真提供: 慶應義塾大学牛島利明研究会)
ー違和感を覚えたんですね。
あとは「自分にとって人生で一番のリスクは何だろう」という問いを出したのがこの時で。僕にとってのリスクってなんだろうっていう話なんだけど。ベンチャーに行ってお金が稼げなくなるリスクと、一方でサラリーマンになって好きでもない上司の元で働くリスクを比べたときに、好きな上司のもとで働ける方がリスクが低いんじゃないかって思ってしまいまして。
ーということは、最初に考えていた上場企業に入社することで得られるであろう安定した生活は信岡さんにとって最優先事項ではなかったんですね。
そうですね、「フィット」を考えたんです。安定した生活の方が自分にフィットするのか、好きな人と働ける方がフィットするのか、お金が稼げる方がフィットするのか。その時に僕は好きな人と働けるっていうところが一番フィットしたんですよ。まあそもそも大企業=安定なのかという議論もあるけどね。
ーそれでいうと、「安定した生活」というところしか見えていない人もいそうですね。
そうですね。それはどちらかというと「自分にフィットしているかどうか」じゃなくて、「社会からしたらどちらの方がフィットと言われるのか」っていう発想なのかもしれません。本当は自分に何がフィットしていて、何の優先度が高いのかわからないから、みんながいいと言っているものにしておく、みたいな。
自分とのフィットを考え、ベンチャー企業に就職した信岡さん。しかし、その後とあるきっかけで会社を辞め、新たな人生を歩み始めます。そのきっかけとは。そして、社会での出来事を「自分ごと」にする方法についても語っていただきました。(つづく)
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