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【いきかた図鑑No.12】~末永玲於さん~



目次

末永玲於さんのプロフィール

今回のインタビューについて

インタビュー本編

-Youtubeで出会った多様な生き方

-村山市との出会いから移住まで

-人生の失敗

-自由な生き方への憧れ

-地方でたくさんの0→1を生み出したい

-熱量のあるローカルができあがるのが夢

編集後記


末永玲於さんのプロフィール

富山県出身。慶應義塾大学在学中にひょんな出会いから村山市に出会い虜になり、当時住んでいた横浜から村山市に移住を決意。現在は「B.BASE」プロジェクトなど様々な活動に携わり、ローカル・インキュベート代表取締役も務めている。




今回のインタビューについて

今回は、いきかたずかんメンバー・しゅんと親交のある末永玲於さんにインタビューさせて頂きました。大学時代の1年の休学や職業選択を通して、自分の意思を固く持つようになった末永さん。富山で育ち上京した過去から移住した現在に至るまで何を考え、何を思い、過ごしていたのか。今回は、その時の考え方の変化や価値観に詳しく迫ります。ぜひ最後までお楽しみください!




YouTubeで出会った多様な生き方


-幼少期は、どんな性格でしたか?

富山県の生まれで、利賀村から1時間くらいの田舎に生まれなんだよね。

ごく一般的な家庭で育ったんだけど、「大学行って公務員になることがあなたの幸せよ」って言われ続けてきたんだよね。つまり、「リスクより安定をとったほうがいい」ってことで、家としては「富山でずっと生きててくれ」っていう思いはあったんだろうね。自分としては感謝はもちろんしているんだけど、典型的日本的な家庭で育った感じではあったね。


-いつ頃から起業したいと思うようになったんですか?

中学生の頃から、会社やってみたい欲がでてきたんだよね。その当時、iPodタッチがめっちゃ流行った時期で、YouTubeを見ていたんだよね。YouTubeをみれば、全世界の頭いい人の話を聞けることに気づいて「多様な生き方に出会える経験」ができたんだよね。それをきっかけに、起業とか、安定じゃない生き方が面白いんじゃないかと思い始めよ。


-なるほど、そして夢の大学生活に突入してたわけですが、ご自身の大学生活を振り返るとどうですか?

1年の長い長い冬の浪人生活を終えて、半年くらいは遊びほうけたんだよね。でも、最初は楽しかったんだけど、徐々に楽しめなくなってきて。半年経つと、毎日体をすり減らしてお酒飲んで、何やってるんだろうって思うようになって、とりあえず、遊びに費やしているエネルギーをどこかに向けようと思ったのね。そこで、自分は何に興味があるのかと考えて、「食とか農業とか気になるなあ」って気づいたんだよね。それからはいろんなところに旅行に行って、農家訪問したりとか。農業の世界とか食の世界を見つけたよ。生意気にも現場を知らんとなっていうのを思ってたから、2年の夏は一番たくさん農家を回ったね。友人といっしょに、企業からお金をもらって1か月かけて30件くらいの農家さんを回ったかな。



村山市との出会いから移住まで


-なぜ村山市に出会うことになるんですか?

村山市との出会いは、大学1年生の時に東京のイベントで、新規就農者を募ろうっていうイベントに参加したんだよね。たまたまそのバイトをしていた友達が体調崩して、代わりにビックサイトでビラ配りすることになったんだよ。

その中でひと際暇そうな自治体があって、それが村山市だったんだよ。方言がすごい強くて笑方言が強くてなにいってるかわからないから、ワンピースのロビンちゃんにでもなって方言を解読してみようっていう感じで村山に遊びに行くことにしたんだよね。

そしたら、いい人ばかりだったんだよね。「野菜持っていくか」って言ってくれたり、本当に優しくて。そこから月1回は通うようになったかな。それが月1の楽しみになったんだ。

1人なのも寂しいから、5回目、6回目くらいから友達を連れてくるようになって、そしたら市役所の人はそれをみんな喜んでくれて…

これはチャンスだと思った!これが2年生の6月くらいかな。満を持して、「関係人口を創出」っていうのを市役所に提案したんだよね。関係人口創出のために、大学生を連れてくるから、農業を一つのコンテンツにしてグリーンツーリズムやりませんか?っていう提案をしたら意外と通って、予算つけてくれたんだけど、その時「個人にはお金を卸せないから、法人を作りなさい」と言われて、初めて一般社会法人を作ることになったんだよね。自分で仕事を請け負うようになった始まりはここかな!-れで、最終的に事業やって、コロナと同時に移住したんですか?


-それで、最終的に事業やって、コロナと同時に移住したんですか?

一応1年目は、割とグリーンツーリズム事業はそれなりに成功して、

2年目も事業を同じように請け負うようになって、ちょうどオリンピックの開始の時期に、高輪ゲートウェイ駅に開店できる機会をいただいて… チャンスだと思ってめっちゃ準備してたんだよね。でもコロナでダメになって、実家に帰って、1ヶ月釣りばかりしてたんだよね。こんな感じでコロナの影響を受けてた時に村山市はめっちゃ心配してくれて、いっしょに考えてくれたんだよね。ほんとに優しくて、惚れたんだよね。ここで男気スイッチを押す瞬間が来た笑

「じゃあ、移住しちゃおう!」って!


-移住するにあたって、地元に逆に愛着等はなかったのですか?

今は好きだよ。出たら好きだけど、地元にずっといた頃は好きじゃなかった。飛び出してやるって思ってたかな、東京きたかったからね。



人生の失敗


-すごく活動的な末永さんですが、人生的に、大きな失敗等はありましたか?

最近だと、今カフェをやってて、お金の支払いを滞納しそうになったりとかして怒られた笑

いっぱい失敗はあるんだけど、半分諦め半分期待みたいな感じで生きてるから、めっちゃ落ち込むほどの失敗っていうのはないかもしれないかな。自分に対する諦めとか人間だからしょうがない精神みたいなのがね。

「自分はできるのになぜ?」っていうのを思うのが人間じゃん。でも僕はできてもできなくてもオールOKという精神で生きてる!



自由な生き方への憧れ


-先ほどお母さんから安定を臨まれていたっていうお話あったと思うんですけど、、そんな中で起業をしようと思った経緯ときっかけは何だったんですか?

大学来た時、ずっと起業したい!!って思ってるルフィタイプじゃないから、当時は企業とか楽しそうだねえって他人事で思ってたんだよね。

でも、周りに学生起業家がいて、実在するんだ!っていうことを知って…!ほんとにいるんだ、テレビの世界じゃないんだ!って思って、かっこいい!自由な生き方いいなと思い、自分もなりたいなと思ったのがきっかけかな。


-なぜ、「Doing」より「Being」を大事にしたいっていう考えをお持ちになったんですか?

大きく世の中を分けると、職人タイプと飽き性に分かれると思うんですけど、自分は三日やったら飽きるタイプでdoingに没頭できなくて。理想のdoingがないからbeingでいこうという感じだね。

全然まだまだ理想のBeingには慣れてないけど、、なりたいbeingは、大学生の時に出会った起業家みたいに、好きなように時間を使ったり、0→1を作るのが好きだから、何もないところが何かを生み出す、そういうのをたくさんできるのが理想かな。


-ここ最近で壁にぶち当たった経験はありますか。

まずお金の調達だね。やりたいことにはお金が必要になるからね。

もう1つは精神的な壁で、仕事仲間とコミュニケーションをとるんだけど、なかなか共通認識が取れなくて精神的にすり減りました。


-コミュニケーションをとるときに気を付けていることはありますか。

コミュニケーションは告白と一緒かなと思っていて。ビジネスの提案でもほとんど一緒で、成功の確度をあげてから、提案を持っていくようにしています。


-今の目標はなんですか?

僕の会社の名前がローカル・インキュベートって言って、インキュベートは卵が孵化するという意味で、ビジネスでは初期の0から1の現場を支援することを言うんですね。0から1の時はとにかく支援が重要で有難いので、そんなインキュベーターになりたいと思います。

地方という土地で採算が取れているのですか?

移住する前は厳しかったけど、移住して本格的にやり始めてからはいい感じだね。地方だからという弊害はそんなになくて、田舎でもぼちぼちできるんではないかな。


これまでいろんな経験をしてきたと思うんですけど、今現在大事にしている価値観はありますか?

ひとことで言うと、理屈よりやってみるということかな。昔、地元の富山にいたときは頭でっかちで理論重視だったんだけど、山形に来てからは、とにかく自分でやらないといけない状況だったから、とりあえずなんでもやってみようという精神に変わりました。



地方でたくさんの0→1を生み出したい


-様々な挑戦をされてきた末永さんですが、今後どんな人間になっていきたいですか?

会社の話で言うと、「ローカルインキュベート」のように、地方でたくさんの0→1が生まれる環境になったら面白いなあ、会社を支援する側に回りたいっていうのは会社の想いでも個人としての想いでもあって。

ちょっと具体的な話をすると、村山市から初めてお仕事もらった時、額でいうと年間50万円、食えるわけないって思うけど、当時めっちゃうれしかったし、それが今の原動力になってて。たった50万円のお金で人の人生変えられるって0→1じゃないとあり得ないから、その段階に携われるってすごいことって思った。そういうのって面白いし、そういうところに行きたいと思ってる。

もっと個人的な話をすると、25歳でリタイアして子育てしたいんだよね、ビジネス勝手に回っているから、自由に生きられるスタイルでいたい、これはbeingでもなく欲望ですね笑


-今後どんな人生プランを考えていますか。

正直どうなるかわからないし、予測不可能だけど、自由な発想で生きていきたい。さっき言ったみたいに、25才で一旦リタイアして笑でもやっぱビジネスだな!ってなって、またすぐにカムバックしたいですね。でも正直そんな深いところまで考えてない。毎日が楽しければ良いと思ってます!



熱量のあるローカルが出来上がるのが夢


-将来の目標って何ですか?

村山市のみならず、自分が関わる地域で若い起業家がバンバン増えて、熱量のあるローカルが出来上がってくるのが最高の夢かなと思う。僕も含めて頑張んないとですね!


ー今悩んでいる同世代の若者に向けてひとこと下さい!!!

とりあえず、山形に来てください笑これは半分本気で。

人間いつものコミュニティ、場所、時間で生きていると、どうしても既存の価値観に縛られてしまうところがあると思う、だからいつもと違う環境で過ごす中で、違う経験をして既存の発想から抜け出してほしいって思います!



編集後記

思わぬ出会いをきっかけに、人生が180度変わった末永さん。

最初は縁もゆかりもなかった村山市が、今では最も安心できる故郷となっているのだなということをお話を伺いながら感じました。さらに、思い立ったら行動することが、自分の人生を変えていくことを実感し、ワクワクしました。

末永さん、貴重な機会をありがとうございました。





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