top of page

【いきかた図鑑No.7】~高橋希望さん~

目次

希望さんのプロフィール

今回のインタビューについて

ー自立してやっていけるように

ー適度な距離を保つことが大切

ー職業選択は自己実現の1つ

ー命を大事にする、という価値観

ー大学生には、今しかできないことに一生懸命になってほしい

ー好奇心旺盛な子供時代

ープロ意識を持ちなさい 

ー乗り越えた先にベストな結果がある

インタビュー本編

編集後記


希望さんのプロフィール

養豚家。大学卒業後、障がい者就労支援の仕事に7年間従事し、その後、日本における外国人の就労支援を行う。2011年の東日本大震災をきっかけに家業の養豚を生業とすることを決める。「有難豚」(ありがとん)の飼育から販売までを取り扱っている。

「ホープフルピッグ」(http://hopefulpig.jp/)にて活動公開中。


今回のインタビューについて

私たちいきかたずかんが所属する牛島利明研究会には、3つのソーシャルプロジェクト以外にも有志型の「有難豚プロジェクト」があります。今回はその有難豚の活動に長年協力してくださっている希望さんに、ご自身の人生を振り返りながら前職・現職選択の背景や価値観の変化をお話して頂きました!ぜひ最後までお楽しみください。


自立してやっていけるように

ーどのように家業(今の職業)を継ぐと決めたのですか?

小さい時から生き物の成長を見たり病気の子のケアをしたりするのが好きだったんです。両親や祖父母や親戚も、農場や牧場を営む環境で育ちました。東日本大震災の津波で宮城にある両親の農場がなくなって、今はその時に紙一重で助けられた豚たちを守りながら、消費者とこれからの養豚のあり方を探っているところです。



ー養豚家の前にされていた仕事を選んだ理由はなんですか?

もともと保育や初等教育を勉強していたんですけど、その先にある社会自立をイメージした時に、何が子どもたちの課題になるんだろうと思い社会福祉を学んだんですね。当時は、自閉症を研究する為のゼミに所属していて、国別の取り組みを調査したり、障がいのある子どもたちの機能訓練やデイサービスの助手をしていました。その時に、日本では社会の仕組み的に、障がいのある方が働ける場や自分の人生を選択する機会が少ない事を知りました。ご家族や地域医療の関係者には、子どもたちが社会に出た時に「自立してやっていけるように」「友達ができるように」という願いが共通してあって、自分にできることはないかと考え、障がい者の就労支援という仕事を7年間行いました。


適度な距離を保つことが大切

ー今の仕事と前の仕事の共通項はありますか?

似たところは「主役は自分ではない」ことです。いずれ支援員である自分が必要とされなくてもいいように、先を見てその方をサポートしていくのも、動物の世界でも通じるところがありますね。養豚の場合も、ペットではなくて人間と家畜という関係なので適度な距離を取ることがお互いにとって理想的というのはすごく似ているなと思います。

ー仕事を変えて変わったことは(生活面・精神面)ありますか?

仕事としては給料をもらう側ではなく、生み出していく側になったのでそこは全然違いますね。働く環境も全然違います。外国の方の職業相談をしていた時期もあったんですけど、社会人生活を送る際には就労・生活・余暇の3つが重要です。なので、相談業務ではまずご本人の話を時間をかけて傾聴し、それぞれの機関と連携して細かな支援計画を立てていきました。今は養豚がメインなので、色々な生き物の役割を考えたり自然循環の中の豚をイメージしたり、対象が人だけじゃなくなりましたね。動物相手の畜産現場では、言葉より人としての感性が求められている気がします。これまで以上に、喜怒哀楽もダイレクトに伝わってきます。


ー家業を継ぐか迷っている人に対して、アドバイスはありますか?

あまり「家業を継ぐ」って思わない方が良いかもしれないですね。長く続いてきた職場で「自分だったらこういう風にやりたい」と言うとぶつかったりもするんですけど、そこはあまり気にしないでいいと思います。それより大切なのは何か大きな壁に当たった時に、諦めず乗り越えていく強さがあるかどうか。どんな職業でも上手くいかない時や苦境に立たされる時があると思います。ただ、そういう時に自分のパワーの源を知っている人は強いと思います。そう言った意味で、自分の好きな事とか自分らしさは持ち続けたほうがいいと思います。


職業選択は自己実現の1つ

ー大学で教育学を学ぼうと思ったきっかけは何ですか?

元々人に関わる仕事をしたいと思っていたんですけど、中学校の頃社会科見学に行ってみて、小さい子の成長を見守れる場で働きたいと思うようになりました。実際に人が成長していくのを見ると、自分の人生も広がって豊かになるような気がします。大学時代に尊敬する障がい児学の先生と出会ったんですが、その先生は、「教師は子どもに学ばせてもらうという姿勢を失ったら終わりだ。」と言っていて、みんなと同じくらいの年の自分には、すごく響いたんだよね。特に障がいを持ってる子は自分の言葉で伝えることが苦手だったりするから、なおさら上から目線じゃだめなんだと学びましたね。


ー子供時代の経験から、教育の道に進まれたんですね。希望さんにとってお仕事とはどういう存在ですか?

一般的だけど、自己実現の場ですね。昔から自分にしかできないこと、オリジナルなことをしたいと思ってたんです。だから養豚をやるにしてもオリジナルな感じでやりたいと思っていて、今は生産から直販まで手がけてます。例えばハム職人とこれまでにない生ハムを8年かけて商品化し、お客様に喜ばれた時は嬉しかったです。養豚を続ける為に必要なパーツを自分で組み立ててきたので、すごくやりがいがありますね。決して順風満帆ではありませんが、飼育から消費の先まで、同じ価値観をもつ仲間に出会えることも大きな喜びです。


ーなるほど。前職のときはお仕事をどう捉えていらっしゃったんですか?

就労支援の仕事は、その方がなりたい将来を一緒に描いたり、そこに至るための職場や地域課題に取り組んだり。様々な関係者の想いにも触れ、喜びや達成感も沢山あってやりがいのある仕事でした。これは私の持論なんだけど…20代は絶対社会に出ていた方がいいよ!たとえ「自分にはむいていないな、やりたいことではないな」と思う仕事であっても、様々な場面でのビジネスマナーを身に付けたり、その時の葛藤を含めて向き合った経験が将来、視野を広げてくれたり思考力がついたり、困難があったときにも簡単に折れない気持ちを作ってくれるので。


命を大事にする、という価値観

ー希望さんがこれは自分特有だな、と思う価値観はありますか?

ものに執着がないことでしょうか。あんまりブランド品に価値を感じないんですよね。震災を経て、ものが壊れるとかなくなってく情景を見てきたから、ものに心が動かされなくなりましたね。逆に四季のうつろいとか豚の成長とか、命を感じるものを目にすると感動します。それから工場型養豚では豚をものとして扱ったり流れ作業ですが、私は豚は3回生きるという価値観をもっています。一頭ずつ声を掛けて豚らしい育て方をしたいです。


ー豚さんの視点があるところが希望さんらしいです(笑)希望さんは今、どんな人と一緒に働きたいですか?

やっぱりこういう仕事をしているので、生き物を大事にする人と一緒に働きたいです。あとは、思いやりがあって想像力のある人ですね。出荷された豚がどんな人に食べてもらえるのか、一緒に想像できる人と働きたいです。




大学生には、今しかできないことに一生懸命になってほしい

ー今の大学生を見て思うことはなにかありますか?

本音で話すことを大事にした方がいいなって思います。大学生は器用さを身につける時期でもあるけど、やっぱり本音を出せる友達作りをしておくと、大人になった時に強い人間になれると思うんです。10代後半から20代って、つらいことで追いつめられたりもするけど、今になってみれば学生時代に悩んでいたことが小さな事になるし、その想いを共有できる友達がいることは心強いですね。


ー希望さんが大学生の頃の自分に言いたいことはなにかありますか?

「もっとふざけて遊んでいいよ~」と言いたいです(笑)宮城から出てきた解放感からか、いろんなことをやりたくてしょうがなくて、大学生の自分はストイックに何かしようと燃えてましたね。「なにかこれというものを見つけたい」って言ってたように思います。でも、結局は当時入っていた女子寮で友達と大笑いしたり、花火大会にいくとか海に遊びに行くだとか、普通のことが一番楽しかった思い出として残ってるので、「そんなに何かを成し遂げようとしなくてもいいんだよ」と伝えたいです。結局やりたいことはできるようになるよ!って。


ー人生のモットーを、教えてもらえますか?

モットー…難しいですね(笑)私の教訓は、インディアンの言葉なんですけど、「笑顔は神聖なもの、どんな時でも周りと分け合うことを忘れてはならない。」です。震災のあと、人間が泣いたり悲しんだりしている時に、豚が倒れた餌タンクの中で見つかったんです。そのとき泣いてた人も、餌にまみれた豚のほんわかと満足そうな姿にびっくりして笑っていて。そこから段々と皆にも笑顔が広がっていって、いつの間にかお腹の底から大笑いして元気になってました。あの時、どんな時でもみんなで笑えるって、幸せなことなんだと思いました。



好奇心旺盛な子供時代

ー学生時代はどのような人でしたか?

とにかくやりたがりでしたね!演劇部に入っていたり、アルバイトやったり、留学したり、資格を3つ取ったり、なんでもやってたかな。色々なことに好奇心旺盛でした。でも、高校時代は抑圧されてました(笑)地元の高校ではなく、県外の私立高校に通っていたんですけど、どうせなら未知な方をと思って選んだ高校が、入学してみたら元男子校なのもあって女子が3人しかいなく、自分には合わなかったんです。居場所があるような…ないような…自分が圧倒的少数派だと感じてしまって。結局、地元の友達や別の高校の友達の方が増えて楽しかった思い出も沢山ありますが、考える事も多かった。でも今思うと、この時期があったからこそ、自分の好きなことをやりたい!という気持ちが培われていった気がします。


ー昔から好奇心旺盛な子だったんですね、希望さんご自身で子供の頃から変わってないなと思うところはありますか?

何かを助けよう、守ろうという意識は強いですね。例えば、巣から落ちた雀を育てたり、捨て猫を拾ってきたり…。農場育ちが直接関係あるかわからないけど、命を大切にする意識は昔からあったかな。あとは、昔から絶対泣かない子でした(笑)男兄弟だったこともあるけど、泣いたら負けだみたいな気持ちがあったかも。


プロ意識を持ちなさい

ーなるほど…。ちなみに学生時代お世話になった先生はいらっしゃいますか?

ゼミの先生ですかね。ストイックで、研究者タイプの教授で。ゼミ論も色々な分析を駆使して書き上げないといけなくて、ゼミ員はどんどん辞めていったんですよ(笑)最後に残ったのは、ゼミ長の私ともう1人の真面目な子だけで…。絶対私は卒業してやる!って思ってました。その先生に何回も言われた言葉が、「高橋さんはもっとプロ意識を持った方がいい」だったんです。例えば、卒論のインタビューを外部の人にする時に、「学生としてではなくプロのインタビュアーとして話を聞いてそれを卒論に生かせ。やるなら誰にもない視点で考察と結論を出せ。」とスパルタな言葉を言われてました。当時はきつかったけど、楽しかった。今でも時々思い出すよね。これでもいいかなと自分に甘えが出そうな時に、「もっとプロ意識を持ちなさい!」という先生の言葉を思い出します。


ーこれまでの人生を振り返ってみて、一番の成功体験って何ですか?

成功というか嬉しかったことかな。震災当初、農場がなくなって豚を飼う場所がなかったので、両親は全頭殺処分で合意していたんです。でもそこで帰ってきた豚が何頭かいて!生きているなら助けようと周りの人が声かけてくれて、豚を助けられた時は本当に嬉しかったです。絶対ダメだと思っていた中で、叶ったことだったから、人生の中で一番嬉しかった。この気持ちが今でもあるからこそ、コロナ禍でも前向きに頑張ろう!という姿勢でいられるのかな。


乗り越えた先にベストな結果がある

ー逆に、過去の人生に対する後悔はありますか?

うーん、全く悔いはないかもしれない(笑)むしろ今いるのが奇跡みたいな意識はあるよね。本当ならいなくなってた豚がいて、たくさんのお客さんが美味しい美味しいって言ってくれて…。もちろん、小さい失敗はたくさんあるけど、そのピンチが次のステージに上がるチャンスだと思う。そこで諦めたらただの失敗体験で終わっちゃうけど、ピンチを乗り越えた先には、必ず新しい視点やシステムが生まれて、現状をより継続可能な相応しいものに変えていくように思う。


ーピンチを乗り越えた先がベストな道なんですね、もしもですけど希望さんが養豚家じゃなかったら何をしていたと思いますか?

先生をやっているんじゃないかなと思います。普通の学校の教員ではなくて、自然体験の教室やったり、アニマルセラピーやったりとか、人と動物と自然と関わる場にはいたと思いますね。家族連れを呼んだりする食事会は、どっちにしてもやってそうかな(笑)


ー最後の質問ですが、現在抱いている夢はありますか?

理想は自分の農場を作ることです。自分だけじゃなくて、仲間と一緒に話し合いながら、農場を作っていきたいな。今の農場は、自分の農場ではないので色々と制限があるんです。だから、もう少し外からの人を受け入れられるようにしたいという夢が、今とても強まってます(笑)今までは、豚がのびのびできる楽しい農場を作ろうと思っていたんですけど、これからは人が遊びに来れるような開かれた農場を作っていきたいと思うようになりました。








編集後記

ものではなく、四季のうつろいや豚の成長など命を感じるものを目にすると感動するというお話がとっても素敵だなと感じました。小さい頃から何かを守ろうと「命」を人一倍大切に考えていた希望さん。インタビューしている私たちにもその想いは強く伝わってきました。インタビューというより、お喋り会のような和んだ空気でお話を聞くことができ、本当に楽しかったです!

希望さん、ありがとうございました。





閲覧数:445回
bottom of page