top of page

【いきかた図鑑No.8】~木田麻衣さん~



今回のインタビューについて

私たちいきかたずかんが所属する牛島利明研究会のソーシャルプロジェクトの一つ、「トガプロ」の活動に数年前からご協力頂いている麻衣さんにインタビューさせて頂きました!実家がある富山県の市街地から、人口500人の限界集落に移り住む決断をされた麻衣さん。その決断の裏にはどのような考え方の変化があったのか、そして実際に村に住んでみた今どのようなことを感じているのか...いきかたずかんメンバーが、気になるその心のうちをたっぷり聞いてきました!ぜひ最後までお楽しみください。


麻衣さんのプロフィール

富山県高岡市出身。結婚をきっかけに夫の実家がある利賀村に5年前に移住。現在は3児の母として子育てをしながら、自宅で民泊を営んだり村の商工会の交流事業等のお手伝いをするなど、精力的に活動している。


目次

 ー今回のインタビューについて

 -木田麻衣さんのプロフィール

 -今は子どもと楽しく過ごすことが自分の仕事

 -どんな人と出会うか、関わるかは全て「ご縁」

 ー今住んでいるこの家が、移住の決め手

 ー自然に触れて生きている人たちは生き生きしている

 ー「利賀にいるからできない」ではなく、「利賀にいても何でもできる」

 ー利賀村に移り住んで新しい発見がたくさんあった

 ー子どものころの気持ちを思い出した

 ー身近なものの大切さに気付いた

 ー利賀村の好きな人に残ってほしい







今は子どもと楽しく過ごすことが自分の仕事

ーまず麻衣さんは、利賀村に住んでどれくらいになりますか?

32歳の時に移住してきたから、今年で5年目かな。6歳の娘と2歳の息子がいるんだけど(※インタビュー当時。インタビュー後にもう一人息子さんをご出産されています)、上の子が2歳の時ですね。



ー今は村でどのような仕事をしていらっしゃるんでしょう?

今は子どもと楽しく過ごすことがお仕事っていう感じです。

もともと利賀村に来るきっかけが仕事とかではなかったから、当初からやりたいことが特に明確にあったわけでもなくて。

それで移住してきてしばらくは子育て中心の生活でしたが、そのうち自宅で民泊の仕事なんかも始めるようになりました。ただ民泊って言っても、ずっとお客さんが泊まっているわけじゃないでしょ?だから逆に時間が余ってしまって(笑)声をかけてもらって商工会の観光関係のお仕事を手伝っていたりもしました。



ー商工会でのお仕事を始める時は、迷いや不安は無かったですか?

そうですね、その時は時間的に余裕もでき始めていたし、逆に商工会の仕事って村の人たちとの関わりが多いから、名前とか顔とか覚えられるし、自分のことも知ってもらえる機会になるし、良いなって思っていました。せっかく仕事するんだったら人と関わる仕事がしてみたいな~っていう気持ちはもともとあったので。

ただ、今も仕事がメインの生活という感じでは全然ないんです。やっぱり中心は子どもで、子どもが小さいと、働きたいけど働けない時ももちろんあるから、そういう時は同じ村のお友達とフォローし合いながら、商工会の観光や特産品開発のお手伝いも交代でやったりしています。


ーかなり柔軟な働き方ができるんですね!利賀村に移住する前はどんなお仕事をされていたんですか?

私は利賀村と同じく富山県にある、高岡出身なんですが、そこのホテルで10年間働いていました。仕事内容は、宴会や会議のためのセッティングや接客が中心です。ただその仕事は結婚するタイミングで辞めてしまったから、利賀村に来るまでの間は専業主婦をしていましたね。


どんな人と出会うか、関わるかは全て「ご縁」

ー木田さん一家は、牛島ゼミのトガプロ*のこともお家に泊めてくださったり、活動に協力してくださったりしていますが、関係が始まったきっかけなどはありましたか?

トガプロとの一番最初の出会いは、私が移住してきてすぐのタイミングでした。だから5年くらい前になるのかな?最初は、トガプロの子たちが、村の人の家の草むしりとか雪かきとか一緒にしているから、村の人だと思ってたんです(笑)でもよくよく聞いてみると東京の学生ってことで驚いたのを覚えています。

その後、働いている商工会の人経由で、彼らを家に泊めてあげてくれないかと言われて引き受けたのが、関わりを持つきっかけでしたね。


ーでも年に数回しか村を訪れない東京の学生と関係を続けていくって、なかなかハードルが高いことではないですか?

まあ確かにそうですよね。でもなんだろう、ご縁だと思うんです。関わっていく人と出会うこともご縁だし、その人たちに巡り合わせてくれる人との出会いもまたご縁。そうやって自然に繋がっていくものだと思います。

あとは、トガプロの学生たちが村に来た時に子どもたちと遊んでくれるんだけど、それで子どもたちもすごく喜ぶんです。そういう風に「一緒に楽しめる」関係性って嬉しいなって感じますね。


トガプロ*=慶應義塾大学商学部牛島ゼミが取り組むプロジェクトの1つ、利賀プロジェクトの通称。富山県の限界集落である利賀村に定期的に訪問しながら、東京の学生目線で利賀村でしか出来ないこと、出会えないものを発見し、村内外に発信・活用している。



今住んでいるこの家が、移住の決め手

ーずっと市街地で生活していた麻衣さんが、利賀への移住を決断したきっかけはなんですか?

利賀村のことを知ったのは、結婚相手が利賀村出身だったからです。さっきも話したように、私は富山県の高岡市出身で、結婚後もしばらくは私の実家に家族で住んでいました。でも子どもが2歳になる頃に、夫が利賀村に戻りたいと言い始めたんです。

夫の実家ということで、利賀村には何度も足を運んでいましたが、あくまで当時の私にとって利賀村は「遊びに行く場所」でした。全然住みたいとは思ってはいなかったんです。夫から、利賀村の中古物件を見つけたという報告を受けても、なかなか住む想像もつかなくて。でも、実際に家を見た時に、「ここなら楽しんで暮らせる」っていう明るい未来をイメージできたんです。それが移住の決定打になりました。


自然に触れて生きている人たちは生き生きしている

ー実際に利賀村に住んでみてどのようなことを感じていますか?

そうですね、移住前から利賀村に定期的に通ってはいたので、新しい土地に飛び込んでいくような感じはなかったです。でもこっちに住むようになって、より一層利賀村の中の「繋がり」を強く感じるようになりました。

特に地区ごとの結束ってかなり強いんです。行事なんかも、村全体でというより地区ごとに催したり、それぞれの地区にはそれぞれの昔ながらの慣習があったりしますから。

実は私たちが今住んでいる地区は、夫の実家がある地区とは別なんです。だから家族に移住すると伝えた時は、反対もされました(笑)その時は、地区ごとのコミュニティの結束を強く意識した瞬間でもありましたね。


ー村の人に対しての印象はどうですか?

やっぱり、土に触れて生きている人たちの顔を見ると、凄く生き生きしているなと思いますね。外にいる時間も、街で生活している人たちと比べてずっとずっと長いですから。東京もそうだけど、街って自然が全然無いじゃない。時間に関してもそうですよね。同じ時間を過ごしていても、利賀村と東京では流れている速度が全然違うなと思います。



「利賀にいるからできない」ではなく、「利賀にいても何でもできる」

ー利賀村に住んでみて、街での生活と比べて大変なことはありますか?

まず、「利賀にいるからできない」ことって無くて、「利賀にいても何でもできる」と私は思うんです。もちろん子どもにも、利賀だからと色々な選択肢を諦めてほしくないし、そもそも選択肢は狭まらないと感じています。

この気づきって、今のコロナ禍で多くの人が認識し始めていることでもあるんじゃないかな。自分がやりたいという思いさえあれば、どんな方法もあり得ると思っています。



利賀村に移り住んで新しい発見がたくさんあった

ー続いて利賀村での子育てについてお聞きしたいのですが、「利賀村」という場所であるからこその、子育ての良い面と大変な面を教えてください。

娘が2歳のときに移住したんですけど、やっぱり街にいた時は、いつも公園とか支援センターに連れていっていたけど、利賀村は街のように遊具もないし、遊びに連れていくような場所が無いから、毎日街まで子どもを連れて行っていたんですよね。それは大変でしたね。

でもその反面、子どもが自然の中だけでも遊ぶようになりましたね。石だけでもずっと遊んでるし。

子どもは家の前でも、自然の中で自分で遊びを見つけて没頭することができる、それに気づいた時に、それまで自分が物に頼っていたことに気づきました。

だから、大変だと思わなければ全然大変じゃないです。いつも街で当たり前のようにしていたことをしようと思ったら大変だけど、自然の中で遊べるってことに気付いてからは楽になりましたね。子どもって遊びの天才だということに気付いたんです。自然がなくてはダメですね!


ー麻衣さんにとっての、理想のお母さん像はありますか?

やっぱり、自分は子どもと一緒にいる時間を一番大切にしていきたいと思ってます。自分自身も子どもと一緒に楽しみながら生活していきたいので、一瞬一瞬今できる事を大切にしていきたいです。

反面教師で、自分の両親は2人とも、共働きで家にあまりいなかったからそういう思いが強いのかもしれません。


ー麻衣さんにとって、幸せだなって感じるのはどんな時ですか?

そうですね。自然の恵みを感じた瞬間は幸せだなと思います。都会だと人工物は作れるけど、自然は作れませんからね、自然は壊れてしまったら、作り直せないから。自然の中で暮らせるのが幸せだなって思います。


子どものころの気持ちを思い出した

ーもともと自然はお好きだったんですか?

それが、もともとは自然にそこまで興味がある方ではなかったんですよね。

でも思い返してみれば、小さい頃は外遊びは好きで、土に触れることもあったし、水でも遊んでいた記憶があります。利賀村ほど自然豊かな場所には住んでなかったから、こういう自然に囲まれた場所への憧れはどこかにあったんだと思います。田植えしてみたいとか、野菜採ってみたいとか。でも子どもの頃に思ったことは忘れていたんですよね。その気持ちを利賀村に来て思い出しました。

そういえば、高岡に住んでいたころに、誕生日に田んぼが欲しいとお願いしたことはあります(笑)ジブリの世界に憧れていて、やってみたかったんですよね。


ーあなたにとって大切なものは何ですか?

やっぱり「子どもとの時間」ですね。過ぎてしまった時間は戻せないですから。子どもだけではなくて、家族と過ごす時間もそう。とにかく周りの人との時間を大切にしたいです。


ー利賀村にいると毎日違う発見がありそうですよね?

利賀にいると「時間との勝負」っていうのも凄く感じます。その季節しかできないことがたくさんあるんです。山菜にしても春にしか取れないし、夏は短くて水遊びをさせられる時期もとても短いです。行ける時に行かないと、手遅れになってしまうんですよね。休みの時まで待っていたらいけないんです。そういうことも含めて、やっぱり時間は大切です。



身近なものの大切さに気付いた

麻衣さんが利賀村に住んで良かったと思うことはなんですか?

自然は宝だってことですかね。都会は人工物しかないですもんね。食べるものが変わったとかは思わないけど、意識は変わったのではないかと思います。ちょっと買い足しに行くとかはできないですからね。身近にあるもの、家にあるもの、季節のものをいただくことを意識していますね。


ー利賀村に住んでみて感じる、生活の中の変化はありますか?

一番の変化は夫が猟を始めたことですかね。家の自給率を少しでもあげられればいいなと思って、夫に鉄砲を持ってみたらということを言ったんです。夫自身も利賀に来てすぐくらいの時から興味があった感じだったから、勧めてみたんです。利賀村は野生動物が出没するっていう治安の悪さもありますしね(笑)


ーこの先他の場所に住む選択肢はありますか?

実際に、子どもの習い事とかに頻繁に通うようになると、街の方にも拠点が欲しいと思うようになって、家を借りるとかではないけど、大きい車を買いました(笑)村から街に通うまでの車内で快適に過ごせるようにね。


ー利賀村は高校がないと思うのですが、その時に一緒にどこか移住するとかは考えていますか?

そうですね、それはその時にまた考えようと思ってます。まず、そもそも高校に行くかどうかも含めて子供の意見を尊重したいと思っているので、どんな選択肢もあり得ると思っています。


利賀村の好きな人に残ってほしい

ー利賀村の将来ってどうなっていると思いますか?

深くは考えたことはないけど、利賀村が好きな人が暮らしていけたらいいと思いますね。これからも、みんなで利賀村の伝統を大切にしていけたらいいなと思っています。




編集後記

子どもとの時間、自然の恵み、身近なものへの感謝の気持ちを忘れない麻衣さんの姿が印象的でした。

利賀村で、2児の母親として強くたくましく生きる麻衣さん。いつか実際にお会いしたいです。

素敵なお話ありがとうございました。


閲覧数:191回
bottom of page