目次
今回のインタビューについて
牛島利明先生のプロフィール
インタビュー本編
ゼミについて
ー最初は3本柱ではなかった
ー本当はゼミなんて持ちたくなかった!?
教授になったきっかけ
ーゼミの先生との話がきっかけで
学生時代を振り返って
ー興味のあることにはとことん!
ー流れの中で今の人生に辿り着いた
”面白い”の考え方
ー興味の幅は広がっていく
ー“面白い”は他人から与えられるのではない。作るのだ。
ー自分の感覚が将来の何かに繋がっている
物事への向き合い方
ーかっこ悪くても良い。物事に向き合わなければ道は開けない
ーつまらないのは、それ自体のせいではなく自分の力量の問題。
ー「自分の人生は自分のもの」そう思えることが幸せ
編集後記
今回のインタビューについて
私たちいきかたずかんが所属する牛島利明研究会の教授、牛島先生。いつも親身になって学生に寄り添ってくれる先生ですが、先生ご自身のお話になると「僕のことはいいですよ~」と華麗に身をかわされてしまいます。今回はそんな先生の人となりに迫るべく、価値観や人生観を中心にお話を伺いました!ゼミの話から学生時代について、さらには物事に対する考え方まで。人間性にぐぐっと迫ったインタビュー、最後までお楽しみください!
牛島利明先生のプロフィール
慶應義塾大学商学部教授。現在関心のあるテーマは「産業・地域の衰退」。学部では「経済史」「産業史」の他、総合教育セミナー「地域との対話」を開講している。ゼミ員からはパパのように慕われており、何事も温かい目で見守ってくれている。
最初は3本柱じゃなかった
ー今のゼミの三本柱はどんな背景があってできたんですか?
10期まではディベートと三田論の2本柱でしたね。でも11期が入って来てからは、試しにプロジェクト的なことを外部の人と組んでやりたいねってなって今の3本柱*¹ができた感じかな。
3本柱*とは…牛島ゼミの軸となる3つの活動。批判的論理的思考力を養う「ディベート」・課題発見→仮説→検証→成果を発信する「三田祭論文」・問題意識や問題発見力を養成する「ソーシャルプロジェクト」のこと
ーなるほど。そのプロジェクトは学生主導で始まったんですか?
僕がやりたかったんだよね~。最初からやっていたディベートと三田論でそれなりに充実はしていたんだけど,だんだんもの足りなくなってきて。結局何の為にゼミやってるのか、社会に出た時にゼミでやってきたこととどう繋がるのか(社会を見る時の問題意識)が無くてもの足りなさを感じたのかな。
それで、10期11期が入った時点で「なんとなく人材的にいけるのでは?」と思った。その時のゼミ員の雰囲気やタイミングって大事だよね。あと東日本大震災のあった年で、みんな自分たちに何かできる事は無いかっていう社会的な雰囲気に推されたところもありましたね~。単に大学の中でテキストを読んでれば良いっていう雰囲気ではなく、何かしら動かなきゃ!という危機感はありました。
本当はゼミなんて持ちたくなかった!?
ーゼミはもともと持ちたかったんですか?
いや、持ちたくなかったですね、面倒くさそうだったから(笑) ゼミ持たなくて良いように留学のタイミング図ったりもして。1期生には「冷めてる」「省エネだ」って言われてましたよ(笑)
ゼミの先生との話がきっかけで…
ーそうなんですね(笑) ではそもそもどうして教授になろうと思ったんですか?
職業を選んだという感覚は無くて、ずるずる流れに乗ったらこうなってたよね。実は大学4年生の時には普通に就活していくつか内定ももらってたんですよ。でも、会社の中で働いている自分、楽しんでいる自分が想像できなかった。そんな時、ゼミの先生に借りていた本を返しに行って、たまたま就活の話したら「そんな甘ったるいこと言ってるからだめなんだ。君がやりたいことやるならもっと勉強しなきゃ!大学院行ったらどうなんだ」って言われて。
実は僕、研究者って中学時代から漠然とした憧れだったんですよね。小さい子が宇宙飛行士に憧れるよな感じで。けど周りにはそういう人は誰もいなくて、ロールモデルが見当たらないから、自分とは違う世界の話だと思っていた。自分で自分の将来の幅を勝手に狭めていたんですね。今思えば、ゼミの先生は僕のことよく見ててくれたんじゃないかな、タイミング見計らって話してくれたんだと思うね。
ーその当時、先生はどういう学生だったんですか?
まあそんなに勤勉ではなかったね(笑) 本を読んだり、調べて考える事が好きで、熱中できるなというのはあった。ただ逆に与えられた宿題とか、システマティックにこなしていくのは苦手だったかな。
ーでは、そんな牛島先生の恩師っていらっしゃいますか?
ゼミの先生かなあ。もともと日吉時代にその先生の理論経済学の授業をとってたんですよ。たまたま前のコマの終わりに教室のぞいてたら、教室から出てきた先生と鉢合わせちゃって、開口一番「なんか文句あんのか」って言われて...(笑) なんか言わなきゃって思って、咄嗟に「この間授業で扱った本が図書館で見つからなかったんです(汗)」みたいな話をしたんですよ。そうしたら急にニコニコになって、授業後のお茶に誘われました。その後は、授業中も当てられてたり、よくおしゃべりしたりしてましたね(笑) それである日「どこのゼミ行きたいの?」って聞かれて、「先生のゼミです」っていうのも何だかおこがましい気がして全然違うゼミ答えたら不機嫌になっちゃったから、「じゃあこの先生のゼミ行っとくかあ」って。
ちなみに、自分が今学生だったら牛ゼミは絶対選んでなかったなあ。こういう和気あいあいとした、明るく頑張っているゼミみたいなのは「絶対合わない!」って思って選択肢にも入らなかったと思いますよ。もっと屈折した感じの人がいるところを探したと思う。なんというか、自分の本当の姿と相反するゼミができちゃったね(笑)
興味があることにはとことん!
ー先生が子供の頃から変わってないところってどこですか?
小学校時代は、ちょっと斜に構えていて「俺なんでもわかってるぞ」みたいなしょうもない少年でした。中高時代は、興味ありそうな講演会とか、年上の女性ばっかりがいるようなすごい場違いのコンサートに1人で行っちゃうような感じだったな。
こういう自分の興味があるものにはとりあえず足を運んでみるような性格は今でも変わってないんじゃないかと思いますね。
ーでは子供の頃から持っている教訓はありますか?
そんなのないですよ~(笑) 逆に年齢と共に変わってくるんじゃない? いろんな事に気が付いてくるので、当然大事に思うものも変わってきますよ。
今でこそ多様性大事だって思ってるけど、若い時は考えてなかったからね。自分が当たり前って思うことが当たり前ではない人もいて、そういう人たちとどうやっていっしょにやっていくかとか、そういう考え方、大学の時ですらできてなかったかもな...。だから、ずっと同じでいることの方が難しいと思うよ、人は成熟していくものですから。
流れの中で今の人生にたどり着いた
ーこれまでの人生をどのように振り返りますか?
これといった成功や失敗は特にないな。もちろん小さな成功や失敗はあるけれど、日々淡々と生きています。潮目が変わって流された方向に進んでいたら、その方向が鮮明になっていくという感じで流れの中で漂って辿り着いたのが今。あの時がなかったら今の人生ではなかったというターニングポイントはあるけど、それが幸運と不運の分かれ目という感じはしないですね。
ーなるほど。仮に職業を選択し直せるとしたらどうしますか?
いまの道をもう一度選びますかね~。やっぱりやりがいがあるから。研究内容も、教育活動も、社会的活動も、自分のやりたいなと思うことを自分で組み立てられる仕事は性に合っているんだと思います。
興味の幅は広がっていく
ー最初からどんな仕事をやりたいかは明確だったんでしょうか?
そんなことはないよ。好きになるものや好きになる深さは、年齢によって広がったり深まったりしますから。
例えばさ、20代30代の頃は、大きな本屋さんに行っても行く棚が限られていたんですよ。でも、徐々に行く棚が多くなっていった。そもそも料理に興味がなければ料理本のコーナーには行かないけれど、何かのきっかで食に関心をもって料理本コーナーに足を運ぶようになる。するとそこから派生した食のサプライチェーンに関連づけて農業の本を読むようになったりする。関心を持つテーマが増えていって、いろいろなテーマに自分の切り口から楽しむことが可能になりましたね。
“面白い”は他人から与えられるのではない。作るのだ。
ー今の学生に対して思うことはありますか?
勉強に限らず、何事にも取り組んだ方がいいよね。「やらなくてはいけない」ではなく、「やりたいからやる」というように熱中できるものに取り組めると良いと思います。もちろん「やりたい」という感情を持ちやすい人と持ちにくい人がいるでしょうけど。
狭い自分の領域から外に出にくい人や知らないことについての感度が低い人は正直損していると思います。逆に、面白いものを自分で創ったり、面白くアレンジできる人が得なんじゃないですかね。
ーと言いますと?
テレビのチャンネルをみて面白い番組を探すみたいな感覚ではないんですね。つまり、誰かから提供されるものを自分の感覚で面白いか否かを選別するのではなくて、自分が面白いと思うものについて深く考えた上で、面白いものを自分で創り、自分で面白くしていくにはどうすればいいだろう、と考えることでより生き方が豊かになるんじゃないかと思うんです。
ーなるほど。では自分で創る側になるにはどうしたらいいですか?
面白い場とか好きな場って誰にでもあると思うんだよね。そこに観客、つまり与えられる側として行くのを面白い、楽しいって思う人がいると思う。たとえば舞台とかね。でも、極端な話、その場に自分も参加して、作品をつくる一端を担えるようになったらもっと面白くて楽しいのでは?って考えることが大事なんじゃないかな。お客ではなくて仲間になれないかな~って。
自分の感覚が将来の何かに繋がっている
ーそういった経験ありますか?
ストレートじゃなくても、誰もが自分の感性に合うものやそれに関連したものにいつの間にか出会っているというのはあるんじゃないですか。好きなものと関連がある別のものに出会った場合、元々好きなものだから半歩足が出やすい。だから、好きだけど自分はできない、作る側・関わる側ではないって思い込むのはよくないと思うんです。案外繋がるものですよ。
虎視眈々とする必要はなくて、でも自分の中にある感覚を忘れずに研ぎ澄ましていれば、いつか何かに繋がっていると思うよ。
かっこ悪くても良い。物事に向き合わなければ道は開けない
ー先生にとって大切なものって何ですか?
どういうレベル感かによるよねえ。でもやっぱり今まで話してきたようなことかなあ。物事に向かう姿勢・構えっていうか。昔…昔って言ってもけっこう後の方までだけど、さっきも話した通り、どこか斜に構えてるとこがあったんですよ。でもいつの間にかそういう姿勢は捨てて、物事に対してストレートであることに価値を置くようになった。物事と向き合わなければ道は開けないんだな。何も始まらないんだなって。
ーなるほど。もう少し詳しく聞いてもいいですか
まあだから成功・失敗に価値を置かないとか、かっこ悪くても別に良いっていうことだよね。不必要なプライドは捨てる。多分君ら世代の男子ってさ、まだかっこ悪いことできないし、かっこ悪いこと嫌いじゃないですか(笑) だからそういう意味では扱いづらい部分もあるよね(笑) でもどこかでやっぱり変わるんじゃないですか。それじゃあ通用しないんだなっていうのが自然と分かって周りの目とか置いといて問題に正面から向き合わなきゃ何も始まらないって気づく時が来ると思いますよ。
ゼミの卒業生とか見ててもそうだよね。若い人は何かを成し遂げていないと語れない。だけど、一定の年齢になると、成功も失敗も割と自然体でフラットに話せるようになる。かっこよくないけど胸に迫るものを見る機会が多ければ多いほど、なりふり構わない本気さにほだされるというかね。ああ自分もああいう風になりたいって思うんだよ。
まあでも結局かっこはつけたいですけどねえ(笑) いくつになってもね~。かっこいい方がいいでしょだって。かっこいい方がいいですよ...(笑)
つまらないのは、それ自体のせいではなく自分の力量の問題。
ーではそんな先生にとって、行動を起こすモチベーションてどこにあるんですか?
面白いと思えるものであればモチベーションが維持できますよね。だから、自分にとって何が面白いと思えて、逆に何が面白いと思えないか知ることが必要だよね。そういう経験を重ねていくと、どんどん自分で好きや面白いを創っていく力が上がっていく。極論言っちゃえば、つまらないものなんてない。つまらないのは自分の力量の問題なんじゃないですかね。そこが自分の限界。
ーここまでお話を伺って、先生って考え方が一貫してますね。すごい...!
まあねえ。でもこうなったのもけっこう年齢いってからだと思いますよ。またこれから変わるかもしれないしね。
「自分の人生は自分のもの」そう思えることが幸せ
ー最後に、先生にとって幸せとは何ですか?
うーん。幸せっていうのはだから…多分自分でそう思えるかとか、自分で幸せを作れるかってところだよね。そもそも別に不幸でもいい気がするしねえ。ただ不幸だからって機嫌悪く生きるのはいやだけどね。
ー難しいですね...幸せってそもそもなんでしょうね...
まあさしあたり僕は「自分の人生は自分のものだ」「これは自分の人生だ」って思えているときは幸せだと答えておきましょうかね。「こんなことになってしまったのは他人のせい」とか「環境のせい」とか、そういうことに囚われてしまうと不幸せになってしまうのかなと思う。これが自分の人生だと思えていれば、たとえ良いことが起きても、良くないことが起きてもとりあえず不幸せではないんですよね。
編集後記
何事も達観していらっしゃる牛島先生。インタビューでは先生らしさが随所に現れていました。
面白いものは選択肢から選ぶのではなく、自らの手で作るもの。そんな物事の捉え方は人生を豊かにしてくれそうです。
牛島先生、貴重なお話をありがとうございました。
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