目次
今回のインタビューについて
柿島淳さんのプロフィール
インタビュー本編
学生時代の人生について
ー三島への愛を抱き始めた
ーアメリカ人になりたい!?
働き方・公務員への思い
ー奥さんの存在に助けられている
ーミスターポジティブ
ー公務員という職業選択
ー家族や周りの人がいてこそ、突き進んでいける
ー声に出してみると、意外と夢って叶ったりするもの
人生とは
ーやりたいことができる環境で挑戦し続けたい
ーやっぱり三島が好き
ーこれからも常に前のめりで!
編集後記
今回のインタビューについて
私たちいきかたずかんが所属する牛島利明研究会には、3つのソーシャルプロジェクトがあります。その中の一つがめぐるめ。前回は、パッションフルーツ農家を営む浜中さんにインタビューしましたが、今回は「三島を愛する男」三島市役所で働く柿島さんにインタビューしてみました!
皆さんが考える公務員のイメージってなんですか?デスクワーク、安定、定時帰宅などなど…
一方で、「楽しく自由に生きようじゃん」がライフワークの柿島さん。あまり波乱万丈なイメージない公務員ですが、そこに対して意外な訴求をしてみました!そもそも柿島さんが三島愛を抱いた背景は何だったのか?ぜひ最後までお楽しみ下さい。
柿島淳さんのプロフィール
三島市役所商工観光課。小中高は地元三島で過ごし、大学は東京に進学するものの、1993年には三島市役所に入所。それからは、課税課・スポーツ推進課・商工観光課・健康づくり課・広報広聴課など様々な業務に携わっている。ミスターポジティブと自ら名乗るほど明るく気さくな方で、常に新たな楽しさや面白さを追求している自由人。
三島への愛を抱き始めた
ー三島に対する地元愛は中高時代からあったんですか?
田舎の子だもんで普通にこの地で昔から遊んでいて…地元が好きとかいう気持ちは全くなかった。だけれども何も気にせず遊んでいたら、それが僕にとっての原風景・原体験、アイデンティティみたいな感じになってたのかな〜と思いますね。
ー大学は東京に行かれてますよね?
高校時代、大学は東京に行きたい!という思いがめちゃくちゃあった。東京に行けば何でもあって、毎日芸能人がそこらへんを歩いているような街だと思ってたからね(笑)
ーでも、結局大学1年生は三島キャンパスでしたね(笑) その時の思いは?
もう最悪って思った。またこの生活か!って。と同時に、全国から三島に来た人に「三島って何もないね」って言われるのがすごく悔しくて…。だから皆に車で三島を案内したんだ。そしたら「三島って面白いじゃん」って喜んでくれて、もっと他にも面白いところを探してやろう!って気持ちがどんどん変化していって…。だからもし1年の頃から東京にいたら、自分が実は三島が好きだったこととか、友人に三島を認めてもらいたいと思いは気づかないでいたかもしれないね。だから大学1年生の生活が、今思えば三島愛に気づくきっかけだったと思います。
ードライブに連れて行った県外の友達は三島に対してどういう反応でした?
海や山が周りにない学生とかに三島の海や山を案内すると、その反応が新鮮だった。ただただ道を走らせてるだけなのに1コ1コ「なにこれ!」って驚いてくれて、それが新鮮だったなあ。僕は20年この地で生まれ育ってるし自分にとっては日常だけど、この人っちにとっては非日常なんだっていう気付きはあったね。
アメリカ人になりたい!?
ーなるほど…そんな学生時代の後悔って何かありますか?
海外に行っておいた方が良かったなとは思った。僕、大学4年でアメリカに卒業旅行行ったんだけど、すごい良かったのね。アメリカ横断して人生観が変わっちゃって、将来アメリカ人になりたいって思うようになって(笑) 社会人になったら海外に行ける長期休みはなかなかとれないから、大学の時にもうちょい海外見ておけば良かったなって思ったかな。借金してでも海外行っとけば良かった(笑)
ーアメリカに行ってどういうふうに人生観かわった?
みんな明るいじゃん?みんなお友達じゃん?自然にドアを譲って「After you please」とか普通に言えちゃう感じ。そういう風にみんなと話せる、コミュニケーション能力の高さ(今となっては僕が目指してるところ)がそこにあったのかな。
ーそれ以降、柿島さん自身に変化はありました?
変わったかもしれないね。中高大時代は喋らないのがかっこいいみたいのがあるじゃん?でもそうじゃなくって、思っていること感じたことを口に出す方が、人からの共感を得られるなって思って。とにかく自分の思ったことや感じたことを間違ってても表現するようには変わったのかもしれないね。
絶対に思ったことは言った方が得するよ(笑)
ー逆に、子供の頃から変わってないところはあります?
そのまま年を重ねちゃったけど(笑) 人と話すことと笑ってることが大好なところかな。怒りっぽいところはあるけど、喧嘩はしないし…。とにかく人と一緒になって楽しいことやりたい!人と話して、次何しようかと考えることが大好きなのは変わらないですね。
奥さんの存在に助けられている
ー柿島さんの恩師・お世話になった人は誰ですか?
うーん、1番の助言をくれるのは奥さんだよね。奥さんは勉強面だけじゃなくて物事を俯瞰的にみれる点でやっぱり賢くて、悔しいけどリスペクトしてるかな。僕すごい自由な人間だもんで、自由に動き回っている状況で、奥さんはいつも「それ以上行っちゃうとまずいんじゃない?」って助言してくれる。
ー具体的なエピソードあったりします?
薄々お察しの通り、僕ってひざを突き合わせてみんなで作戦を練ったり、あるものをゼロから作り上げることが好きだから、人が集まる土日や夜間に出かけることが多くて。だからなかなか家にいないんだよね。そうすると奥さんに「もう少し家を大切にしてくれない?(笑)」って言われるんだ。だから僕は、そこの登場人物に家族を入れればいいじゃん!って思って、イベントや会議や会合に家族を巻き込んで連れて行ったりしてる!
ミスターポジティブ
ーこれまでの人生で一番の成功体験ってありますか?
成功体験…ないんじゃない?(笑) 失敗だらけなんだけど、でも街の人が柿島のやってることは楽しい、面白いって言ってくれてることが成功なのかなって思う。ただ、「あそこをこうすればもっと面白かったのになあ…」みたいな反省はいつもいっぱいあるよ。
ーでは逆に人生最大の失敗ってありますか?
うーん、わかんない(笑) 結構ね、昔からミスターポジティブだもんで、反省はしてるけど全て次に繋がっているからいいじゃん!ってなる。なんかね人生の途中に、恥ずかしいって気持ちとか真面目に事をやるとかネガティブって気持ちを置いてきちゃって…すごいお気楽なんだ!ほんとに。
公務員という職業選択
ー柿島さんは公務員を志す上で、その後転職は考えてはなかったのですか?
僕らの世代は、転職って考えられない時代だったのね。僕らのような狭い町だと、「あの人転職したらしいよ~」っていう噂が流れちゃうし。だから転職ってことはまず考えられなくて… そんな職業選択の中で、「自分にとって一生働ける仕事って何だろう?」って考えたときに、一生働けるであろう公務員を選んだ。あと、これは皆へのメッセージなんだけど、大学のときに資格や得意なスキルみたいな武器はあった方がいいよ!僕は何の武器もなく社会に飛び込んでしまったが故に、一生働けるのは公務員しかありえないと思ってしまったからさ。
ー転職がかなりタブーな時代だったんですね…ではもし今この時代に就職するとしたら、もう一度公務員を選びますか?
自分の子供2人には「公務員にはならないようにしよ」って言ってる(笑)理由は色々あるけどね。だから自分自身も、今職業選択するとしたら公務員は選ばないかもしれないな。
僕らの時代は、新卒で公務員に入る人が大半で、数割が民間から公務員に転職してくる時代だったのね。でも今の時代は、民間でバリバリ働いてから(民間・銀行・JICA・大学院とか…)公務員に転職してくる人が増えているんだ。民間を通っているから僕らより色々な経験をしていて、能力やレベルも高くて全然敵わないなって思ってます(笑)
仕事が辛くて今自殺しちゃう人とかいるけど、「死ぬことはないじゃん」って思う。今の時代、転職は全然恥ずかしいことじゃないし、むしろ当たり前になってるし、転職先で公務員とかもありだと思うし…。そういう社会経験豊富で修羅場を乗り越えてきた人たちが地域のために公の仕事をやってくれるってことは、地域の人にとって幸せなことかもしれないよね。
ー市役所に勤め始めて最初は、課税課で「the公務員」という感じのデスクワークをしていたんですよね。その時は楽しかったですか?
その時はめちゃくちゃ楽しかった。仕事は机の上で完結して、しかも9時-17時の生活で、毎日友達と遊べるし、そのときは僕の目指していたものがそれだったから楽しかったなあ。すごく公務員だったね。
ーでも今や、デスクワークのイメージがない柿島さんですが?
課税課で4年働いた後に、念願のスポーツ行政に携われるようになったんだ。国民体育大会の受け入れの担当の経験などを経て、役所の中だけで仕事しているってつまらないなあって感じるようになって…。人と人、コトとコトを繋ぎ合わせるのが仕事だなあって途中から気付いたので、そういう人たちを巡り会わせる方がすごく面白いなと思ったね。それから脱公務員を目指すようになった。つまり、役所の中で完結させるんじゃなくて、市民や企業の人がやりたいことの背中を押してあげるような存在になるってことね。公務員はプレイヤーじゃなくて、背中をポーンと押してあげる役目だと思うから、市民とか団体とか民間さんがやりたいことを引き出してあげて、僕らは予算とかつなぎ合わせとか機会を作ってあげて…それこそが自分の仕事だと思うようになった。
家族や周りの人がいてこそ、突き進んでいける
ーなるほど、そこでご自身の考え方がガラッと変わったんですね。それではここからは、もう少し柿島さんご自身の価値観の部分に迫っていこうと思います。まず、柿島さんにとって大切なものってなんでしょうか?
僕ね、大切なものは家族!あとは友達。周りの共感者とか同志だね。なんか自分っちがやってることって誰かに肯定してほしいじゃん。それが自己肯定に繋がって突き進んでいける。そういう意味では、去っていくことなく常に自分の側にいてくれる家族や友達は大切にしたいね。僕自身の土台になってくれている部分だと思うから。
声に出してみると、意外と夢って叶ったりするもの
ーとっても自由にのびのびと色々なことにチャレンジされている印象がありますが、柿島さんにとって「自由」とはなんでしょうか?
難しいね~。自由なんだよね、僕。役所の中でもすごく自由な方だと思う(笑) ただ、やるべきことはしっかりやっているつもりかな。事務仕事もきちんとこなすのは基本。そういうことをクリアした先に、面白い事ってできると思うんだ。
だから当たり前のことをきっちりこなしたあとに、楽しいことを面白おかしくやることが自由なんじゃないかな。そういう姿勢でやり続けて来たら、だんだん周りの人が認めてくれるようになって「まあ柿島だったらいいや」って一緒になって応援してくれるようになったね。
ーそういう風に周りを巻き込めてしまうような自由で面白い発想ってどこから生まれてくるんですか?
僕ね、ネタを常に考えているんだよ。昔からテレビっ子で、情報番組とかバラエティとか大好きなの。そこで観た内容を、なにかしら三島に落とし込んで実現できないかなってそればっかり考えてる。三島の登場人物だったらどう変えればいいかなって。
あと、やりたいことを頭で考えるだけじゃなくて、声に出して「こんなことやってみたい」って発信してると、不思議なもんで必ず共感して協力してくれる人が現れるわけよ。
ー言霊というか、声に出すのって確かに大切ですよね。実際に自分が声を上げることで、周りがついてきてくれたエピソードがあれば伺いたいです。
そうだね、僕ビールがすごく好きで、僕の血液はビールで出来てるんじゃないかっていうくらいなんだ(笑)それでずっと「新しいビール作りたい」って言い続けていたんだよ。みしまコロッケの原料である三島馬鈴薯を使ったビールを作りたいって。ただ、なかなかビールづくりって儲からないらしいし、馬鈴薯は材料にならないって言われていたから、もう半分諦めかけてたんだよね。
でも情報って発信し続ければ夢を叶えてくれる人に出会えるもんでさ。そういうの面白いって思ってくれる人に巡り合えて、結果として今年3月にビールが完成したんだ。
「自分はこれがやりたい」って夢を語るプレイヤーがいて、情報を発信し続けると、そこに食いついてくれる人は必ずいる。その人たちが互いに手を取り合えば、面白おかしく夢を実現させていけるんだよな。
やりたいことができる環境で挑戦し続けたい
ー三島でそんな風に自分の夢をたくさん実現されてきた柿島さん。今まで三島から出たいと思ったことはないのですか?
昔は出たかったね。高校とか大学の時は。正直今でも心のどこかでは、東京へ新幹線通勤するのに憧れてみたり(笑) でも昔さ、部活の顧問の先生に言われた言葉がずっと心に残ってるんだ。「竜のしっぽでいるよりも、蛇の頭でいることのが楽しいぞ」って。だから、僕は東京みたいに優秀な人がひしめいていて自分がやれることが少ないところよりも、自分の価値観を反映させられて、やれることのスペースがある場所で挑戦し続けたいね。定年退職したら、もっともっと田舎でひっそりやりたいことやるのもいいかななんて(笑)
やっぱり三島が好き
ー田舎で老後の時間を過ごすの、憧れますね。そんな柿島さんが、もし余命一週間と言われたら、残された時間をどう過ごしますか?
ずっと家族とべったりいたいな~。あと三島にずっといて、美味いものを食べたい。やっぱり三島が好きだからね。昔だったら、NYに行きたいとか銀座に行きたいとか言ったかもしれないけど、今は不思議と全くないんだ。今まで一緒に時を刻んできた人と三島で過ごしたいな~。
これからも常に前のめりで!
ーそれでは最後に、柿島さんは今後どういう人生を歩んでいきたいですか?
三島に関して言えば、情報をもっともっと発信していきたい。情報を受け取って、三島のことを好きになってくれるかそうじゃないかはその人の価値観や主観の問題だけど、まず最初の取っ掛かりの部分で情報を伝えるってすごく大事だと思うんだよ。
そのためにさ、今、動画編集や人を惹きつけるデザインについて勉強してるんだ。三島のために、これからも常にポジティブで前のめりに人の要望に応えていきたいね。
編集後記
大学1年生の時に友人を連れて三島をドライブした経験が今の地元愛の源泉だった柿島さん。常に自由で面白くてポジティブで!楽しさを追求し新たなものを作り上げようとするマインドが印象的でした。
ライフワーク「楽しく自由に生きようじゃん」の考え方を存分に感じる事ができ、インタビュー中は終始みんなで笑いながらお話を伺いました。皆さんもこの記事を読んでみて、柿島さんのポジティブさが伝わってきましたか?(笑)
柿島さん、今回は貴重なお話をありがとうございました。
*記事内の写真は柿島さんよりご提供いただきました。
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